研究会 活動報告(三笠公園)

第三回研究会を実施。

 

今回は、会員2名と私の計3名で

神奈川県横須賀にある、三笠公園の記念艦「三笠」を見学。

明治時代。
日本は西洋化を一気に推進するも、まだ武士道精神が残っていた時代。

帝国化する西洋に対抗するべく、日本も帝国主義に走り領土を広げ、日清戦争を経て日露戦争へ。

その日露戦争(1904年に開戦)に決着をつけたのが、
1905年5月27日から28日にかけて行われた日本海海戦。
そこで日本の聯合艦隊旗艦を務めたのが戦艦三笠です。

三笠は日清戦争後、ロシアに対抗するための「六六艦隊計画」の
一環として建造された艦で、完成前に海軍の予算が尽きてしまったため
不法流用までして英国ヴィッカース造船所で作られました。
その期待に応え、日本海海戦で東郷平八郎率いる三笠をはじめとする聯合艦隊は
当時世界一と称されていたロシアのバルチック艦隊を完膚無きまでに圧倒して殲滅。
制海権を確保して日本を勝利へ導きました。

この戦いは、黄色人種が初めて白人に勝利した戦争となり、
日本の国際的地位を「五大国」の一員へと押し上げる結果となります。

また、この勝利は植民地支配を受けているアジアの国々を
大いに勇気付けることとなりましたし、
西洋人からも東郷の見事な戦いぶりを「東洋のネルソン」と呼んで賛美するなど、
世界中から大きな反響を得ることとなっていったのです。

日露戦争の勝利により、我が国は独立を全うし国際的地位を高め、
また、有色人種として蔑視され、抑圧、蹂躙されていたアジア・アラブ諸国に
希望を与え、独立の気運を促進しました。

当時16歳であったインドの独立運動家で後に首相となったネルーは、
日本の勝利に血が逆流するほど歓喜し、
インド独立のため命を捧げる決意をしたと自伝で述べ、
また、次のように子供に話したと伝えられています。
「日本は勝ち、大国の列に加わる望みを遂げた。
 アジアの一国である日本の勝利は、
 アジア全ての国々に大きな影響を与えた。
 私は少年時代、どんなに感激したかをおまえによく話したものだ。
 たくさんのアジアの少年、少女、そして大人が同じ感激を経験した。
 ヨーロッパの一大強国は敗れた。
 だとすれば、アジアは昔、度々そういうことがあったように、
 今でもヨーロッパを打ち破ることもできるはずだ。」

さらに、中国の革命運動の指導者であり「建国の父」と仰がれている孫文も、
「これはアジア人の欧州人に対する最初の勝利であった。
 この日本の勝利は全アジアに影響を及ぼし、
 アジアの民族は極めて大きな希望を抱くに至った」
と述べています。

これに加え日本軍は、海戦で海に投げ出されたロシア兵を残らず救助し、
日本人が戦争中のため十分な食事が摂れない中、
捕虜たちには十分な食事を与えるなどの紳士的な対応は現代でも高い評価を得ている上、
捕虜となったロシアの提督に対して、平八郎自ら見舞いに訪れるなど、
日本人の、そして平八郎の人間性の高さや武士道精神を示す逸話が数多く伝わっていることも、
この戦争の特色のひとつに挙げられるでしょう。

1921年のワシントン軍縮条約によって廃艦が決まった「三笠」ですが、
現役復帰できない形での保存が許されて横須賀に保存されました。

第二次世界大戦後は艦上にアメリカの軍人向けに「キャバレー・トーゴー」
や水族館等の遊興施設が作られたり、艦上構造物を持ち去られてしまうなどひどい状況でした。
遊興施設は一時賑わいを見せたものの次第に客足が遠のき、
戦艦三笠は手入れされることなく放置され、
錆まみれの哀れな鉄屑同然になってしまいました。

その後、復元保存運動のおかげで無事ほぼ完全な形に修復され、
現在も横須賀に保存されています。

戦艦三笠は、艦首には輝く菊花紋章が掲げられ皇居に向き、
その遥か遠方にはロシアがあり、今でもにらみを利かせている。



記念艦「三笠」公式ホームページ
http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/index.html