研究会 活動報告(大國魂神社)

第六回研究会を開催。

 

クリスマスイブの日曜午後。

私を含め3名の会員と、
東京都府中市にある大國魂神社に参拝。

 

大國魂神社は、大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を
武蔵国の守り神としてお祀りした神社。
この大神は、出雲の大国主神と御同神で、
大昔、武蔵国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、
又、医療法やまじないの術も授けられた神様で、
俗に福神、又は縁結び、厄除け・厄払いの神として著名な神様とのこと。

以下、大國魂神社ホームページより抜粋
https://www.ookunitamajinja.or.jp/
--------------------------------------------------
御由緒

当社のご祭神は、大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]で
武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。
この大神は 素盞鳴尊[すさのおのみこと]の御子神で昔この国土を開拓され、
人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営された。

当社の起源は、人皇第十二代景行天皇41年(西暦111年)5月5日
大神の託宣に依って造られたものである。
出雲臣天穂日命[いづものおみあめのほひのみこと]の後裔が
初めて武蔵国造[むさしのくにのみやつこ]に任ぜられ当社に奉仕してから、
代々の国造が奉仕してその祭務を掌られたといわれる。

その後、孝徳天皇(596-654)の御代に至り、
大化の改新(645)のとき、武蔵の国府をこの処に置くようになり、
当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する所にあてられた。

又、国司が国内社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、
これが即ち武蔵総社の起源である。

後に本殿の両側に国内著名の神、六所[ろくしょ]
(小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して六所宮
とも称せられるようになった。《※注》

寿永元年(1182)に至り、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、
その室、政子の安産の祈願が行われた。
文治2年(1186)頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営し、
また貞永元年(1232)2月に将軍頼経の代にも武蔵守資頼を奉行として社殿が修造せられた。

又、天正18年(1590)8月、徳川家康が江戸へ入城してからは
武蔵国の総社であるために殊に崇敬の誠をつくし、
社領五百石を寄進され、社殿及びその他の造営に心力をつくされた。

正保3年(1646)10月、類焼により社殿は焼失したが、
寛文7年(1667)将軍家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。
形式は三殿を横につらねた朱塗りの相殿造りで、屋根は流造りであり、
慶応年間に檜皮葺(ひわだぶき)が銅葺に改められた。本殿は都文化財に指定されている。

明治元年(1868)勅祭社に準ぜられ、同7年(1874)県社に列し、
同18年官幣小社に列せられた。

当社はもともと大國魂神社と称したが、
中古以降、武蔵の総社となり、又国内著名の神六所を配祀したので
「武蔵総社六所宮」の社号を用い、
明治4年(1871)にもとの社号に復し「大國魂神社」と称するようになった。

当社は神威殊に顕著であるので、古来より崇敬者は、武蔵の国はもちろん、関東一円に亘っている。

5月5日には例大祭が行われるが、この祭が有名な国府祭で、
当夜八基の神輿が古式の行列を整え、消燈して闇夜に御旅所へ神幸するので、
俗に「くらやみ祭」といわれている。
昭和36年(1961)より神輿の渡御は夕刻に改められた。
--------------------------------------------------

冬空の中、初詣の準備で参道に提灯や屋台の設置進められている。
また、大安吉日のため、結構式を挙げる方とすれ違う。

人が多く賑やかだが、凛とした空気に包まれている。
流石、太古よりこの土地をお守りしている神社だ。
強力な波動を発している。

参拝の後、社務所で御朱印を頂いた。

身も心も清められ、清々しい気分に浸りながら、
日本文化の素晴らしさを味わった。

ありがとうございます。